「分人」を知っておくことで、ひとに優しくなれる
今回とりあげる書籍は、
平野啓一郎さんの『私とは何か 「個人」から「分人」へ』。
平野啓一郎さんは、『マチネの終わり』になどで有名な小説家ですが、本書や『「カッコいい」とは何か』といった本も執筆されています。
『カッコいいとは何か』も名著ですのでオススメです。
分人とはなにか?
個人(individual)は、これ以上分けることのできないという意味が語源となっている。人は皆、いろいろな顔をもっているけれど、本当の自分は一つしかない。そう考えられることが一般的です。
しかし本書では、
・唯一無二の「本当の自分」というのは神話である
・たった一つの「本当の自分」など存在しない
・対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」である
と書かれてあります。
そして、相手との対話の中で形成されていく複数の顔や人格のことを、個人(individual)と対比させる形で、本書では「分人(dividual)」と表現しています。
家庭の中で父親として振る舞う分人。
会社の中で課長として振る舞う分人。
同僚と食事をしているときに振る舞う分人。
どれかが本当の自分ではなく、そのどれもが本当の自分。
ただ、その割合に差があるというだけにすぎない。
人間の身体は、なるほど、分けられないindividual。
しかし、人間そのものは、複数の分人に分けられるdividual。
本書ではこの「分人」を軸に、さまざまなトピック(コミュニケーションや教育、恋愛や死など)の考察がなされております。
ページ数は200ページにも満たないので、ボリューム自体はそれほど多くなく、文体も優しく、すんなり読みすすめていくことができるのでおすすめです。
「分人」を知っておくことで、ひとに優しくなれる
この「分人」という概念を知っておくことで、私自身なにが良かったかというと、
ちょっと人に優しくできるようになったことです。
なんだか小学生の道徳の授業で交わされるような感想ですが、ざっくり言うとそんな感じ。
だれかと仕事をしていたり会話していると、「あ、ちょっとこの人は苦手なタイプだわ・・・」と感じることも多いはず。
好き!嫌い!という0−100の二項対立で人付き合いをしていると、結構疲れます。
嫌いだと感じていても、その人とどうしても関わっていく必要があったりする状況はザラにある・・・。
ただ、分人という概念を知っておくと、今自分の目の前に合わられている相手の分人は、その人すべてを表現しているわけではなく、あくまでも、いち分人にすぎないと解釈することができます。
「この人は、家では一家の大黒柱なんだろうな」と、その人の他の分人にも思いを馳せてみる。「この人のこの分人は尊敬できないけれど、あの分人は尊敬できる」みたいに、分人ごとに人をみてみると、参考になる部分はきっとあるのではないかと思うのです。
これは、よく言われるような、人の短所ではなく長所をみつけることに似ていて、ちょっと人にやさしくなれるような気がします。
なにか気に食わないことがあったら、もうこの人とは付き合わない、といった態度で人と付き合っていると、自分自身も疲れますし、せっかくの学びの機会も減ってしまいます。分人の概念を知っておくことは、自分自身のためにもなりますし、ひとに優しくなれます。
家庭医療と分人
そしてこの分人という概念は、家庭医療にも通ずる部分があります。分人を家庭医療の文脈で考察してみると、かなり親和性高いのではないかと。
診察中、患者として目の前に現れているその人は、医師である私に対して、患者としての分人を表現しています。
前述したような、その人の様々な分人を知ったり、思いを馳せてみることは、まさに全人的理解であると思います。いわゆる、心理・社会的側面や、健康観、生きがいなどです。
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ということで、「分人」の概念を紹介して、自分の考えや学びを書かせてもらいました。
この本を多くの人が読んでくださったら、ちょっと世界が平和になったりするんじゃないかと、そんな気がします。