【平野啓一郎さんのオンライン講演に参加しました】
「第21回日本死の臨床研究会中国・四国支部大会/第26回鳥取緩和ケア研究会 in鳥取」の午後の部、平野啓一郎さんのオンライン講演に参加してきました。
平野さんは「マチネの終わりに」などの小説でご高名な作家。
わたしは、平野さんの著書のなかでも、「私とは何か」という本が特に好きで、先日にも記事を投稿しました。
この本では、平野さんの提唱する「分人」という概念について説明・考察されています。
今回はその「分人」に関するご講演で、書籍の内容を補完するような形でお話してくださりました。また、新著の「本心」で取り上げられている「自由死」という概念についてもお話いただき、分人の文脈でより良い死について考察されておりました。
以下、講演メモです✍
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■平野さんの父は36歳でブルガダ症候群で突然死去した
・いつ死ぬかわからないのにこんなことをしていていいのだろうか?
→ 本当にしたいことはなんだろうか?
→ 本当の自分とはなにか? という疑問に
■実社会でいきる自分と、内面の世界でいきる自分
・これらはほんとうに分けられるものなのだろうか?
■アイデンティティにおける2つの疑問
・対人関係における自分は何者なのか?(私という概念はなんなのか?)
・社会的な自分は何者なのか?(わたしは社会において何者なのか?)
■人間は対人関係ごとに分化するもの
・重視されている分人は割合が多く、そうでなければ割合が小さいというだけ
・分人の構成割合を考える
■自己肯定と自己否定について
・ある1つの分人での問題や経験にもかかわらず、自分すべての問題にとらえてしまうのは勿体ない
・分人の視点があれば、自分自身の全否定ではなく、部分否定にとどまることができる
・自分すべてを肯定するのは大変。分人ごとに肯定するとよい。
■複業的な視点は分人そのもの
・自分自身を複数のプロジェクトのように考える
■分人の状況にも格差がうまれている現代社会
■病気を抱える人
・病気と向き合っている分人の割合が大きくなってしまう
・そのバランスをとろうとするために、他のひとにあたってしまうことがある
・あるひとを支えてあげるとき、特定のひとだけにそのケアを任せるのではなく、何人かに分散してあげるような仕組みづくりが重要
■ある特定の分人が自分の生活のほとんどを占めてしまっていると、継続性がなくなってしまう
■記録と記憶
・死んだあとも、記録として、記憶として、残り続けることがすこしでも慰めになるかもしれない
・一方で、残り続けることを美化しすぎていないだろうか
・忘れられたくないことに執着しないこと
■愛することと死
・愛とは、「その人といるときの自分の分人が好き」という状態
・死の悲しみは、「その人といるときの自分を、もう生きることができない」ということから生じる
■自由死
・安楽死をイメージした言葉ではない
・どの分人で死にたいと思うか、分人の文脈で考えた死に方
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分人の概念はケアの文脈でも応用が効くので、今後も考察を深めていきたいと思います。