岡山の家庭医の読書・勉強ブログ

岡山の家庭医のブログです。総合診療や家庭医療、哲学、ビジネス、いろいろ。

新年なのでポジティブもネガティブも含めて、今考えていることを率直に書く。

年が明け、2023年になりました。2022年を振り返ってみると、本当に目の前のことに精一杯だった1年でした。。。

2022年の簡単な振り返りと、年末年始の時間でできた内省を踏まえて、ポジティブもネガティブも混ぜ合わせた、今の率直な気持ちや思考をまとめておきます。

 

■2022年の簡単な振り返り

2022年4月から現在の診療所で勤務するようになり、家庭医療を実践する日々であります。新型コロナウイルス感染症は依然として猛威を振っており、未だ終息の兆しはみえません。

常に人員が不足している状況のなか、新型コロナウイルス感染症への対応と、その他の外来・訪問診療で日々が過ぎていき、職場での業務に慣れていくことにエネルギーのほとんどが持っていかれてしまっていました。現在の職場にきて8ヶ月が経過し、業務には慣れてきていますが、それでもなお診療の数の波にもまれて過ごしております。

 

それに加えて、嬉しい悲鳴ではありますが家庭のライフイベントも重なり、予期せぬハプニングにもみまわれながら、なんとか切り抜けました。そして2022年12月12日、我が家に第一子が誕生しました。支えてくれた家族や職場の皆様、そして何より妻には感謝しかありません。ありがとうございました。

 

 

■忙しさを理由に、自分を忘れて、自分自身から逃げようとしていないか

こうして2022年を振り返ってみると、環境の変化に順応することに精一杯だった1年でした。そうはいいつつ、全く自由時間がないような状況ではありませんでした。しかしながら、その自由時間をなにか有効活用できていたかというと、正直良くわかりません。なにかに一生懸命に打ち込むということが、2022年は少なかったように思います。やる気がないというよりも、身が入らないといった説明が正しい気がします。エネルギーがどこか切れてしまっているような。

 

これまでにも、新しい職場で日々順応していくために勉強をつづけ、知識・技術を習得し、そしてまた新しい職場で研鑽をつむといった日々を送ってきていました。それは2022年4月から今の診療所で勤務するようになってからも同じで、特に家庭医療の実践と振り返りをおこなう現在は、経験値をつむには申し分ないです。一方で、今は今で時間に追われることも多く、夜間のオンラインミーティングなんかがあると気持ちも滅入ってしまいます。

 

谷川嘉浩さんの『スマホ時代の哲学 失われた孤独をめぐる冒険』という本の冒頭に、ニーチェの一節が引用されています。

ニーチェの書いた『ツァラトゥストラ』という本には、寸鉄人を刺すフレーズが出てきます。

「君たちにとっても、生きることは激務であり、不安だから、君たちは生きることにうんざりしているんじゃないか?  〔……〕君たちはみんな激務が好きだ。速いことや新しいことや未知のことが好きだ。──君たちは自分に耐えることが下手だ。なんとかして、君たちは自分を忘れて、自分自身から逃げようとしている。

 

これまで、臨床業務で日々忙しくしていた毎日は、それはそれで充実していましたし、目の前の課題に取り組むことで毎日が終わっていくようでした。振り返る時間がそこでなかったわけではないけれど、「今はこれをやっていたらいいんだ」と自分に言い聞かせるような形で、特段考えることもなく過ごしていました。

 

でもそれは、ニーチェのいうように、「激務が好き」で、「自分を忘れて、自分自身から逃げようとして」いたのかもしれません。自分で自分のやりたいことを選び取って進んでいたようなきがしていたのが、実はそうでもなかったんじゃないかと、最近思うようにもなってきました。忙しさを理由に、考えずに済んでいた自分から目をそらしていたんじゃないかと。

 

もし今後さらに忙しくなり、内省する時間もなく、ただただ忙殺される日々が過ぎていくことになるとしたら、それはもったいないような気がしてならないですし、それはきついです。

 

 

■コロナ禍で増えた夜のオンラインミーティング、許すまじ。

特にいま、子どもが生まれ、自分の価値観が大きく変わってきたことを実感しています。今までは、家庭よりも臨床・研修が最優先でやってきていて、それが正しいことがと疑いもせず、「毎日忙しくやっている自分、かっこいい」くらいに思っていました。子どもが生まれてもそれは変わらないんじゃないかと思っていたのですが、こんな自分でも変わるものなのだと驚きました。家庭の時間を確保したい。

 

特に診療後の夜間、時間を占領してくるのがオンラインミーティングです。新型コロナウイルス感染症が流行して、オンラインミーティングがより一般的になりましたが、その影響で夜間のオンラインミーティングが激増しました。仕事のオンとオフの境目がなくなることを良しとする意見もあるようですが、私は反対です。オンとオフはつけたほうがいい。

「何を仕事と考えるか?」はひとそれぞれだとは思いますが、「おもしろいからやる!」というものでなければ、自分や家族の時間を削ってまで仕事は夜にやるものではないと思うようになってきました。もちろん、おもしろくて楽しんでいるのなら、仕事でもやっていたらいいと思います。

全人類の夜間のオンラインミーティング、減らすべきです。正直しんどいです。なんなら消し去るべき・・・。

 

■マイペースでやりたい。

これまで、誘われるがままに色々な活動に手をつけてきた自分でしたが、2022年にはそれもある程度セーブしつつ、状況によってはお断りする機会もいくつかありました。「せっかくのチャンスだから、声をかけられたものには全部手をあげよう!」と意気込んでやってきていましたが、やはり自分の興味がおもむくものでなければ、長続きしません。試しにやってみることで、自分に合うかどうかがわかるというのも事実です。それでも、八方美人で何でも手を挙げてチャレンジしていくには、気力も体力も時間も足りません。

今、自分が何をどうしていきたいのか、迷っているというのが正直なところです。もちろん総合診療や家庭医療の研修は第一ですが、それじゃあその先にどうしていきたいのかというのがハッキリしていません。ハッキリさせなくてもいいかなと思っているくらいではあります。

 

SNSを開けば、いろいろな人が「〇〇の資格をとりました!」「××の論文を出しました!」と、アウトプット成果の報告が目に飛び込んできます。そんなもの気にしなくていいはずなのに、どこか気にしてしまっていて、自己と比較してしまう自分がいます。「この人、論文たくさんだしててすごいな〜」とか思ったりするわけです。2022年の目標が「他者と比較しない」だったはずなのに、比較しまくりです。

 

今の自分のモチベーションが論文執筆に向かうことはなく、またそんな余裕もなく、そして興味も関心もないのに、他者と自己を比較してしまう自分に呆れてしまいます。

 

たくさんのアウトプットをこなす、自分よりも「すごい人」というのは、必ず存在します。でもおそらく、その「すごい人」は、何かを犠牲にしてやっている。いや、犠牲にしているつもりはないけれど、おそらく僕がやれていることを、その人はやれていないし、経験できていないかもしれない。

つまりは、どこまでいっても、良くも悪くも、その「すごい人」と同じにはなれないわけです。そこに気がつくことができると、諦めからの吹っ切れになると思います。

 

※ちなみに、『本来「諦める」とは、「真理、道理を明らかにする過程で、自分の願望が達成できそうにない理由が分かり、納得してそれへの思いを断ち切る」というポジティブなもの』(「諦める」ために研究する【重松 恵梨】 | 広島大学)らしいです。

 

 

今の自分がどういったことに関心があって、やりたいと思っているのか。どんなことに時間を使いたいのか。

やりたいことがないならそれでいい、今やれることをやればいい(、と言いたい)。

 

たぶん、今の自分の心がひきつけられているのは、家庭医療学、自分の家庭、そして読書。他に興味がないなら、無理にやる必要はない。そしておそらく、これからも興味関心の方向はその時々で変わることでしょう。

 

 

2023年の抱負は、「自己と向き合いながら、マイペースで歩む」こと。

 

 

 

最後に、僕の大好きなアーティストであるポルノグラフィティの「ブレス」という曲の一節を。

ポルノグラフィティ ブレス 歌詞 - 歌ネット

君はもう十分    頑張っているのだけど

知らない間に急かされてる   何か変えろと迫られ

 

今のままじゃダメかい?   未来は早足でなきゃ

たどり着けないもんかい?   ネガティブだって君の大事なカケラ

壮大な旅の途中さ

 

【活動報告】地域ケア会議で健康の社会的決定要因(SDH)について講演しました。

 



昨日、ひょんなことから依頼を受けて、地域ケア会議で健康の社会的決定要因(SDH)や健康格差に関する講演を30分程度行いました。

 

SDHや健康格差の概要を、具体例とともにお伝えしつつ、SDHとしての新型コロナウイルス感染症の影響や、社会的処方、アドボカシー活動等、キーワードを盛り込みながら説明しました。

 

個人的には、いろいろな場面・場所でお話してきた内容だったので、「本当に関心を持ってもらえるのだろうか」とちょっと不安でしたが、講演後の感想・反響が想像以上で驚きました。

 

地域ケア会議に出席されていらっしゃるようなケアマネージャーや社会福祉士保健師さんらは、現場で地域への視点を持ちつつ、社会的要因が大きく関与した事例に常日頃接していらっしゃる方が多いこともあって、感じてもらえる部分が多かったようです。

 

SDHや健康格差といった言葉自体をご存知なかったとしても、これまでの実践や経験の積み重ねの中で感じていたことが、こういった形で言語化されていたんだと、知ってもらえたようでした。

 

自分自身はまだまだ実践や実力、知識が伴っていない状態なので、共通言語としてSDHを使いながら、地域のなかで活動していきたいと思います。


ついでに、SDHや社会的処方に関する学習ツール・お役立ちツールも掲載しておきます。

 

■「医師のためのベストアドバイス」カナダ家庭医協会版 日本HPHネットワーク訳

 

■健康格差に対する見解と行動指針 第二版

 

■Team SAIL と Social Vital Signs(社会的バイタルサイン)とアクションシート

 

■健康の社会的決定要因 教育ポータルと経済的支援ツール

 

■お悩みハンドブック


 

 

雑記:皿回しのように家庭医のポートフォリオを書く。

雑記。

総合診療専門医研修や新家庭医療専門医研修のポートフォリオ作成について。

 

ぼくはひとつのエントリーを一気に書き上げると言うよりは、いろいろなエントリー項目のポートフォリオをちょっとずつ書いていってます。皿回しのように同時並行で。

 

事例って同時進行で進んでいくので、思い立った時にちょこちょこ追記していったり、ふと考えがまとまっていったタイミングで考察を書いてます。

 

ちょっとずつでいいので書けていたら、「うわ〜ポートフォリオ全然書けね〜!」って自分を責めたりせず、「今週もちょっとポートフォリオ書けた。良し良し。」って自己肯定感につながりそうな気がして。

 

まぁこんなことを書くと、ポートフォリオを書くことに関する手段と目的がごっちゃになってしまってそうですが、そうはいっても乗り越えねばならない大きな課題のひとつであることは間違いないので、一歩ずつでもちゃんと進められているって感じられるかどうかって、専攻医のメンタルヘルスにとって大切だと思ってます。

 

あとは、初稿は特に勢いが大切なんだろうな。事例の経過、直面した課題、それを乗り越えるために活用した枠組みやアプローチ、悩みや感じたこと、そういったことをひとまず思い浮かんだままに書いていく。

 

細かい数字や内容の部分は空白にしといて、勢いが止まるまで書いてみる。筆が止まったら、多分それ以上、自分のなかで思考が深まっていなかったり、インプットがまだ足りていないんだと思います。

 

よし、今日はもうちょっと書こう・・・。

感情のグラデーション化には語彙力が必要である(読書メモ「ルポ 誰が国語力を殺すのか」)

読書メモ✍

石井光太「ルポ 誰が国語力を殺すのか」

p22より引用

文科省の定義によれば、国語力とは「考える力」「感じる力」「想像する力」「表す力」の四つの中核からなる能力としている。
・まず、習得しなければならないのが、あらゆることの基盤となる語彙力である。
・物事を細部まで感じ取るためには、豊富な言葉が必要だ。
・多彩な表現をすることで感情をグラデーション化させる。それにより、自分の感情や、相手の心の機敏を近くできるようになる。

 

 

→ 「感情のグラデーション」という表現に膝を打ちました。言葉ですべては表現できないものの、いかにして微妙なニュアンスを表現できるかどうか、表現できる言葉がなければそのニュアンスを感じ取ることもできない。この本を読んでいると、これまで避けてしまっていた文学作品に触れてみたいと思うようになってきました。

 

ルポ 誰が国語力を殺すのか
https://www.amazon.co.jp/dp/4163915753/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_0N07DYW2XKGQZH3PBPZ1