岡山の家庭医の読書・勉強ブログ

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感情のグラデーション化には語彙力が必要である(読書メモ「ルポ 誰が国語力を殺すのか」)

読書メモ✍

石井光太「ルポ 誰が国語力を殺すのか」

p22より引用

文科省の定義によれば、国語力とは「考える力」「感じる力」「想像する力」「表す力」の四つの中核からなる能力としている。
・まず、習得しなければならないのが、あらゆることの基盤となる語彙力である。
・物事を細部まで感じ取るためには、豊富な言葉が必要だ。
・多彩な表現をすることで感情をグラデーション化させる。それにより、自分の感情や、相手の心の機敏を近くできるようになる。

 

 

→ 「感情のグラデーション」という表現に膝を打ちました。言葉ですべては表現できないものの、いかにして微妙なニュアンスを表現できるかどうか、表現できる言葉がなければそのニュアンスを感じ取ることもできない。この本を読んでいると、これまで避けてしまっていた文学作品に触れてみたいと思うようになってきました。

 

ルポ 誰が国語力を殺すのか
https://www.amazon.co.jp/dp/4163915753/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_0N07DYW2XKGQZH3PBPZ1 

ちゃんと知る、生物心理社会モデル(BPSモデル:Bio-Psycho-Social model)

生物心理社会モデル(Bio-Psycho-Social model:BPSモデル)について、「バイオサイコソーシャルアプローチ―生物・心理・社会的医療とは何か? 」という書籍を通じて改めて勉強したので、ここにまとめておきます。

 

 

 

 

 

BPSモデルは生物学的側面、心理的側面、社会的側面それぞれについてリストアップするような還元主義的なモデルではない。そしてBPSアプローチは、各側面に対して万遍なくアプローチしていくものでもない。

 


BPSモデルはシステム理論に基づいて、生物学的側面、心理的側面、社会的側面が相互に関連しあい、全体として、統合的に、今の状態が現れていると考えるモデルである。

 


・臨床実践における認識という点において、それは最も有効な介入ポイント(レバレッジポイント)を引き出すことに役立つ。

 

 

・なお、よく目にする3つの円を用いた概念図は便宜的なものであることに注意。原著の図は階層モデルで表現されている

図 生物心理社会モデルのシステム階層 1)

(上記画像は 

https://www.yodosha.co.jp/webg/contents/gtips/vol6.htmlより転載)

 

 

BPSモデルは、「患者の心理社会的側面をみよう」という視点の提供だけにとどまるものではないし、ましてや全人的医療という言葉に収斂されて表現されてしまうようなものでもない。言い換えるなら、BPSモデルは、然るべきタイミングで、患者に必要なレベルでの介入がなされなければならないとする多元主義に見合うモデルである。

 

 

・そしてBPSアプローチは、それぞれの相互性を考えながら統合的に理解して介入するということである。

 

 

BPSモデルを臨床に実装する理論的枠組としてのBPSアプローチは、2003年にロチャスター大学から提唱されている(原著:Frankel RM, Quill T. The Biopsychosocial Approach: Past, Present, Future. Rochester, NY: University of Rochester Press; 2003. )。概要については、日本医療福祉生協連合会 家庭医療学開発センターの記事で解説されている。

Biopsychosocial アプローチ | 家庭医療学開発センター CFMD|日本医療福祉生活協同組合連合会家庭医療学開発センター CFMD|日本医療福祉生活協同組合連合会

 

 

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BPSモデルは、生物・心理・社会的側面に関する情報をリストアップするだけのものではないこと。各側面の相互作用と関係性に着目して、全体として統合して把握するもの。

 

しかし、BPSモデル事態も万能で完全なモデルでないことに注意が必要です。生物・心・社会的側面だけでは捉えきれていない側面があり、こうした枠組みとして捉える以上、こぼれ落ちてしまっている要素が必ず存在することを留意しておくべきでしょう(例えば過去から現在、未来に至る時間軸や、スピリチュアルな側面など)。

 

複雑なものを複雑なものとしてそのまま捉えることの難しさを実感するとともに、その重要性にも気が付かせてくれるモデルだなぁと感じます。

 

 

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※参考文献

・バイオサイコソーシャルアプローチ―生物・心理・社会的医療とは何か? 

・Engel G. The clinical application of the biopsychosocial model. Am J Psychiatry. 1980;137:535-544.

動脈硬化性疾患予防ガイドライン、2022年版に改訂されてました。


脂質異常症について、2017年版のガイドラインを参考にしながら記事を執筆していたのですが、なんと今年7月に2022年版が公開されていたのを発見し、「マジスカ学園!」ってなりました。

 

今から記事を書き直します・・・(泣)。

 

動脈硬化性疾患予防ガイドライン2022年版 はこちら。PDFでどなたでも読めます。

www.j-athero.org

 

2022年度版の主な改訂点がガイドラインの序章にまとめられているのですが、脂質管理目標値設定のための動脈硬化性疾患の絶対リスク評価手法が、吹田スコアから久山町研究のスコアに変わっていました


「久山町研究のスコアは、虚血性心疾患と、脳梗塞の中でとくにLDL-Cとの関連が強いアテローム血栓脳梗塞の発症にフォーカスされていた点が大きい」からとのこと。

 

また、二次予防の対象として、冠動脈疾患に加えてアテローム血栓症脳梗塞も追加されています。

 

わたしもまだ読みこめていませんが、動脈硬化性性疾患の予防という観点での正確なリスク評価と治療内容と適用の見極め、そして患者との共同意思決定の重要性は変わらないものかと思いますので、プラクティスを変えるべき点と変えなくてもよい点を吟味していきたいと思います。

 

※ちなみに、動脈硬化性疾患発症予測ツールも2022年版にアップデートされていました。

www.j-athero.org

 

 

【読書記録】自分の興味を限定して自惚れていないか。(荒木飛呂彦「荒木飛呂彦の漫画術」)

読書記録。

今回は、「ジョジョの奇妙な冒険」の著者である荒木飛呂彦先生ご自身が書かれた、「荒木飛呂彦の漫画術」です。

 

ぼく自身が漫画を描いているわけでもなく、描こうと思っているわけでもなく、荒木先生がどんな思考や技術を駆使して漫画を描いているのか、単純に興味があったのです。

 

読んだことのある方はわかると思いますが、「ジョジョ」を読んでいると、「なにそのセリフ!」とか、「なにこのポーズ!?」とか、その世界観とか、どこからこんなアイデアが生まれるんだろうとか、どんどん引き込まれていくんですよね。

 

具体的な漫画の描き方、特に設定をどこまで突き詰めていけるのか、そのリサーチや下調べ、テーマや世界観の作りこみ、そしてそれらの表現方法など、惜しげもなく公開されています。

 

 

そして本の終盤、荒木先生がアイデアが生まれることに関して述べた一節が、個人的には特に考えさせられました。

 

まさに「ズキュウウウン」ときました(無理やりジョジョ要素を入れてみる)

 

 

アイディアが尽きるというより、自分の興味が尽きるからアイディアがなくなるのだと思います。よいアイディアは、自分の人生や生活に密着しているのですから、興味がなくなってしまえば生まれなくなるのです。

逆に、常に何かに興味を持つことができて、周囲の出来事に素直に反応できるアンテナを持ち続けられるのであれば、「アイディアが尽きる」ということはないはずです。

(中略)

「自分が興味があるのはこれだ」と限定して、そこから外れたものを無視するという"自惚れ”は絶対にNGです。

※本文229ページより引用

 

さすが荒木先生!(中略) そこにシビれる!あこがれるゥ!(またしても無理やりジョジョ要素をいれこむ)

 

これは非常に示唆深いと感じました。漫画術の本ではあるのですが、荒木先生の生き方をそのものが書かれた一節なのではないでしょうか。

 

「アイデアがないんだ」という表明は、自分自身の興味の対象の狭さ、ひいては生きている世界の狭さを表明していることと同じであると言えるでしょう。

 

一方でこれは、なにかに没頭すること、それそのものの否定ではないと思うのです。ひとつのことに没頭して取り組んでいる時、そのものに何かしらの関係があるのではないかと、その他の事物・事象を関連付けられるような思考や視点をもつ人も、多くいらっしゃると思います。

 

そしてこの一節を読んでいて、「自分は〇〇なので、✕✕には興味がない」といった表現でによって、自分の興味の対象の狭さを、どこか自分のアイデンティティのように表現してしまっていないだろうかと、ふと思いました。

 

「〇〇だから、✕✕はやらないんだよね」とか、「■■だから、△△は知らないんだよね」と、開き直った態度をとることで、自分がどういう存在なのか表現する手法が見受けられることもあります。

 

これって一見、思い切った態度に見えなくもないですが、どこかつまらなさも感じてしまいます。自ら、世界を狭めていってしまう姿勢では、どこかで創造性を欠いてしまって、どこかでつまらない人生になっていってしまいそうです。

 

省みて私自身はどうかというと、どこかそんな姿勢で生活してしまっているような気がするのです。総合診療医のひとりとしてみてみたら、医療全般における興味の対象は広いですが、では「ひとりの人間」として生きるなかで、興味の対象はどうだろうかと。触れたことのないものに対して、勝手に苦手意識をもっていたり、知らないフリをしているだけなのではないだろうかと。

 

勝手に自分をラベリングして、生きる世界を限定的にすることで、自分が何者であるかを安易に定義づけて、自惚れてしまっていないか

 

そんなことを考えさせられた、一節でした。

 

(全然、漫画術と関係ないことを書いてしまった・・・)