岡山の家庭医の読書・勉強ブログ

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医療の文脈でみた実存主義と構造主義(「14歳からの哲学入門」)

14歳からの哲学入門

「史上最強の哲学入門」の飲茶さんの著書。

 

合理主義→実存主義構造主義ポスト構造主義、そしてこれからの哲学について、わかり易くまとまってます。

 

実存主義

生きる意味をサポートする医療者にとっては、実存主義は馴染みやすい。 サルトルによって大成されていった実存主義は、後に構造主義の現れによって衰退していったものの、やはり「実存は本質に先立つ」という考えは、追い込まれてしまった人たちに勇気を与えるものだと思う。

 

構造主義

構造主義もまた、ある意味様々な価値観を肯定してくれる。 唯一普遍の真理はないと考え、それぞれの背景に応じて生まれた価値観を、それとして大切にする視点。 「○○でなければならない」という「べき論」から、すこし自由にしてくれる。

 

やっぱり哲学、面白い。 せっかく勉強しているなら、医療に応用しなきゃ。

 

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自分の想像力の限界を突きつけられる (「正欲」)

朝井リョウさんの「正欲」、読了。
後ろ頭を丸太で殴られたような衝撃。

正欲

正欲

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なんかこう、今まで自分がどれだけ偏った視点で世界を眺めていたんだろうかと。「多様性」って言葉を、軽々しく使っていた自分が少し恥ずかしくなった。

 

 

『多様性とは、都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突きつけられる言葉のはずだ。』(p188より)

 

『「お前らが大好きな ”多様性” って、使えばそれっぽくなる魔法の言葉じゃねえんだよ。」
「自分にはわからない、想像もできないようなことがこの世界にはいっぱいある。そう思い知らされる言葉のはずだろ」』(p337より)

 

大多数の正義のふりをして、私は誰かの「最後の砦」を奪ってやしないだろうか。

 

まだ咀嚼できていない考えや思いが混沌としていて、文字に起こしきれない。

ひとまず読み終わったそのままに、記事を残しておきます。

 

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【講演記録】平野啓一郎さんのオンライン講演に参加してきました【分人主義】

平野啓一郎さんのオンライン講演に参加しました】
「第21回日本死の臨床研究会中国・四国支部大会/第26回鳥取緩和ケア研究会 in鳥取」の午後の部、平野啓一郎さんのオンライン講演に参加してきました。

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平野さんは「マチネの終わりに」などの小説でご高名な作家。

わたしは、平野さんの著書のなかでも、「私とは何か」という本が特に好きで、先日にも記事を投稿しました。

この本では、平野さんの提唱する「分人」という概念について説明・考察されています。

yktyy.hatenablog.com

 


今回はその「分人」に関するご講演で、書籍の内容を補完するような形でお話してくださりました。また、新著の「本心」で取り上げられている「自由死」という概念についてもお話いただき、分人の文脈でより良い死について考察されておりました。

 


以下、講演メモです✍
ーーーーーーーー
■平野さんの父は36歳でブルガダ症候群で突然死去した
・いつ死ぬかわからないのにこんなことをしていていいのだろうか?
→ 本当にしたいことはなんだろうか?
本当の自分とはなにか? という疑問


■実社会でいきる自分と、内面の世界でいきる自分
・これらはほんとうに分けられるものなのだろうか?


アイデンティティにおける2つの疑問
対人関係における自分は何者なのか?(私という概念はなんなのか?)
社会的な自分は何者なのか?(わたしは社会において何者なのか?)


■人間は対人関係ごとに分化するもの
・重視されている分人は割合が多く、そうでなければ割合が小さいというだけ
・分人の構成割合を考える


■自己肯定と自己否定について
・ある1つの分人での問題や経験にもかかわらず、自分すべての問題にとらえてしまうのは勿体ない
・分人の視点があれば、自分自身の全否定ではなく、部分否定にとどまることができる
・自分すべてを肯定するのは大変。分人ごとに肯定するとよい。


■複業的な視点は分人そのもの
・自分自身を複数のプロジェクトのように考える


■分人の状況にも格差がうまれている現代社


■病気を抱える人
・病気と向き合っている分人の割合が大きくなってしまう
・そのバランスをとろうとするために、他のひとにあたってしまうことがある
・あるひとを支えてあげるとき、特定のひとだけにそのケアを任せるのではなく、何人かに分散してあげるような仕組みづくりが重要


■ある特定の分人が自分の生活のほとんどを占めてしまっていると、継続性がなくなってしまう


記録記憶
・死んだあとも、記録として、記憶として、残り続けることがすこしでも慰めになるかもしれない
・一方で、残り続けることを美化しすぎていないだろうか
・忘れられたくないことに執着しないこと


■愛することと死
愛とは、「その人といるときの自分の分人が好き」という状態
死の悲しみは、「その人といるときの自分を、もう生きることができない」ということから生じる


自由死
安楽死をイメージした言葉ではない
・どの分人で死にたいと思うか、分人の文脈で考えた死に方

 

 

 

・・・

分人の概念はケアの文脈でも応用が効くので、今後も考察を深めていきたいと思います。

「ただ、いる、だけ」がいかに幸せなことか (「居るのはつらいよ」)

読書記録。

 

居るのはつらいよ」は、臨床心理士である東畑さんが、沖縄のデイケアでの体験をもとに、「ただ、いる、だけ」の大切さを、ケアとセラピーの観点から考察した一冊。

 

「いる」ことを支えてあげられるような居場所づくりに、これから関わっていきたいと思っている自分にとって、学びの多い1冊でした。

 

本文から引用しながら、「居場所」や「いる」ということ、ケアとはなにかについて、まとめていきます。

 

居場所、「いる」、ケア

p55
居場所とは「尻の置き場所」(中略)
居場所とは「とりあえず、座っていられる場所」のこと(中略)
弱みを不安にならずに委ねられる場所が居場所

ここでは居場所の定義が書かれてあります。「弱みを不安にならずに委ねられる場所が居場所」とあり、後述されるように、安心や依存がキーワードとなってきます。

 

p57

僕らは誰かにずっぽり頼っているとき、依存しているときには、「本当の自己」でいられて、それができなくなると「偽りの自己」をつくり出す。だから「いる」がつらくなると、「する」を始める。
逆に言うならば、「いる」ためには、その場に慣れ、そこにいる人たちに安心して、身を委ねられないといけない。

誰かを頼りにできるような安心や依存があるとき、わたしたちは初めて「いる」ことができると書かれてあります。これは感覚的にわかります。

そして居心地悪く、「いる」ことができなくなったとき、取り繕ったようになにかを「する」のもわかりますね。

 

 

では、「いる」ことはどういうことかというと、

p209
「いる」とはお世話をしてもらうことに慣れることなのだ。

 

p317
社会復帰するとか、仕事するとか、何かの役に立つとか、そういうことが難しくても、なお「いる」。それが「ただ、いる、だけ」だ。

 

そして、

p273

「いる」とは十分にケアされていることによって初めて成立するもの(中略)
ケアは安全とか、生存とか、生活を根底で支えるもの

とあります。

ここで「いる」ということとケアとの関係に踏み込んできました。

 

ケアとはなにかについて、

p271
ケアとは傷つけないことである

p272
僕らは様々なニーズを抱えていて、それが満たされないと傷ついてしまう(中略)
「傷つけない」というのは「ニーズを満たす」ということ、「依存を引き受ける」こと

とあります。

 

ここまでをまとめると、

他人に安心できたり依存できたりすることで、はじめてひとは「いる」ことができ、ケアによって「いる」は支えられている。「いる」ことができる場所が「居場所」である、ということですね。

 

 

 

「居るのはつらい」現代社

しかし、現代の資本主義社会、自立をおしすすめていく社会では、「ただ、いる、だけ」には居心地の悪さがあるという。

p317
そういうこと(社会復帰するとか、仕事するとか、何かの役に立つとか)を超えて「いる」を肯定しようとする「ただ、いる、だけ」は、効率性とか生産性を求める会計の声とひどく相性が悪い。

p325
ケアの根底にある「いる」が市場のロジックによって頽落する。ニヒリズムが生じる。
ニヒリズムは外側から僕らに襲いかかり、内側から僕らを食い破った。だから、居るのはつらいよ。

 ケアの現場に、市場価値の目がむけられることで、「いる」のがつらくなってしまっている。「いる」ことにどんな価値があるのか? そういった視点は、「いる」や「ただ、いる、だけ」を殺してしまう。

 

p337
「ただ、いる、だけ」は、風景として描かれ、味わわれるべきものなのだ。

 

 

この本を読んで

「居場所」という言葉には様々な定義がありますが、この本の定義でいうなら、本当の意味での「居場所」には、目的は必要ないということですね。

「いる」をただ、「いる」として味わうこと。それを実現するためにはケアが必要であり、そこに市場価値の視点を入り込ませない。

 

もしかしたら、「ただ、いる、だけ」を支えてくれる、本当の意味での「居場所」をもっている人は幸せなのではないだろうか。

 

安心できる居場所づくり。お互いに依存できる居場所づくり。目的のない居場所づくり。「ただ、いる、だけ」を支えることのできる居場所づくり。

 

「いる」ということや「居場所」について、これからも考え続けていく必要があると実感させられる1冊でした。