岡山の家庭医の読書・勉強ブログ

岡山の家庭医のブログです。総合診療や家庭医療、哲学、ビジネス、いろいろ。

知れば知るほど、世界は白黒つけられないことばかりなんだと実感する。

ここ最近、「患者中心の医療の方法」第3版の翻訳書を用いた読書会に参加しています。

 

そのうちの第8章は、医学生や研修医に対してどのようにして患者中心の医療の方法の教育に関して記載されており、このような記述がありました。

 

204ページ

「二元論から相対主義による献身へと進歩する」


「「誠意がありかつ暫定的である」能力を形成する必要がある」
  

この2つからビビッと感じた部分があり、思ったことをつらつらと書きなぐってみます。

 


今まで慣れ親しんできた、白黒はっきりするような二元論から、相対主義的な考えにシフトするのは苦しみを伴います。なんせ、受験勉強まで白黒はっきりできる問題ばかりに対処してきた医学生は、実臨床で白黒はっきりしないグレーゾーンばかりの現実に直面するからです。

 

 

実生活や実臨床では、未分化で不確実なものに直面しても、白か黒かに偏るわけでなく、暫定的な状態を良しとする、ネガティブ・ケイパビリティのような能力が求められます。

 

 

まぁ確かに、二元論で物事を考えるほうが、生きていく上では楽だったりします。そもそも、二元論でしか物事を考えられない時、それは自分の世界に閉じこもっているのではないかと思うのです。(ここでいう「世界」とは、単に地理的なものだけではなく、広い意味としての「世界」です)

 

 

世界を知れば知るほど、白黒つけられないことばかりなのだと実感します。「そんな考え方があるのか」とか、「そんな文化があるなんて」とか、「そんな人達がいるなんて」とか。自分の想像もしない世界が広がっています。

 

 

そもそも、医学界は広い学問の世界のなかでも一分野にすぎません。如何に自分みている世界が狭いものなのか。

 

 

そういう意味で、世界を広げていくような勉強は、ある種の痛みを伴うものなのかもしれません。世界の広さを知らなかった自分には、もう戻ることはできません。しかし、そうやって視野の広がった自分は、他者を受け入れることのできる自分に一歩近づいているのだと思います。そして何より、楽しむことができます。「楽である」ことと「楽しい」は、同じ漢字ではあるものの、同意ではありません。

 

 

世界の広さや多様性を知ることは、苦しみを伴うかもしれないけれども、楽しいものである。

 

 

ぼくが学びたいと思う理由は、様々な考え方や文化に触れることで、世界の広さを知ることができ、自分のちっぽけさを感じて苦しむことがあるけれども、その先に広がる視界に心躍るからなのだと思います。

 

 

追伸:2020年にやっていた「シロでもクロでもない世界で、パンダは笑う。」っていうドラマがお気に入りです。

シロでもクロでもない世界で、パンダは笑う。🐼【公式】 (@shirokuro_drama) | Twitter

f:id:yktyy:20210909215904j:plain