「教養の書」
本屋でカバーを見かけて、内容も確認せずに買った本。
装丁がかっこよかったのと、タイトルに惹かれてジャケ買い。
大学教授である著者がこれから大学生活を送るであろう若者に向けた書籍。
教養とはなにか?その定義付けから、どうして私達は学ぶか、そういった根源的な問いをぶつけてくれる本。
教養ってなに?
教養とはなにか?その定義について、この本にはこう書かれている(125ページ)。
「社会の担い手であることを自覚し、公共圏における議論を通じて、未来へ向けて社会を改善し存続させようとする存在」であるために必要な素養・能力(市民的器量)であり、また、己に「規矩(きく)」を課すことによってそうした素養・能力を持つ人格へと形成するための過程
(※規矩(きく):自分の行動を規制する基準のこと)
そしてここに書かれている素養・能力は、以下の3つを含意する(125ページ)。
①大きな座標系に位置づけられ、互いに関連付けられた豊かな知識。さりとて既存の知識を絶対視しない健全な懐疑。
②より大きな価値基準に照らして自己を相対化し、必要があれば自分の意見を変えることを厭わない闊達さ。公共圏と私生活圏のバランスをとる柔軟性。
③答えのみつからない状態に対する耐性。見通しのきかない中でも、少しでもよい方向に社会を変化させることができると信じ、その方向に向かって①②を用いて努力し続けるしたたかな楽観性とコミットメント。
なんだか仰々しいイメージもあるけれど、これからの社会の未来をつくっていく若者にむけた強いメッセージのようにも受け取れますね。規矩という言葉もキーワード。
3つの素養・能力については、学びの姿勢として重要かと思います。位置座標、関連付け、懐疑、相対化、闊達さ、柔軟性、そしてネガティブ・ケイパビリティ。
なぜわたしたちは学ぶのか?
こういった役割としての教養を認識しておくことも重要ですが、本来的に知ること自体の意義は、自分のため、自分の人生のためにあると語られています。
知ることは楽しみなのです。そして楽しみはそれ自体が価値であり、究極目的です。知識は楽しみをより大きくしてくれる。これは実感としても非常にわかります。
ネット検索で代用できない部分はここにあります。「リアルタイムに楽しむということに関して、知識を自分の頭の中に入れておくことは重要(64ページ)」なのです。
教養への道は険しい
この本にはさらに、教養の道を歩むうえにおける「落とし穴」として、フランシス・ベーコンの記した「イドラ論」を取り上げて解説しています。知らない方は、4つのイドラについて解説された記事があるので、こちらを参照してください。現代風に言えば「認知バイアス」ってやつですね。
学ぶことは、社会のためでもあり、自分の人生を豊かにするためでもある。当たり前といえば当たり前の結論ですが、この本にはそこに至るプロセスがなんとも味わい深いので、ぜひ読んでもらいたいです。学びは最高の娯楽です。