岡山の家庭医の読書・勉強ブログ

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効率的な勉強って?

雑記。

風のように過ぎ去っていった10月。気がつくと11月になっていました。

夏休み(というか冬)をいただいており、浮世離れした生活を送っています。皆さんおげんきですか?私は元気です。

 

今週は時間的余裕があることもあって、たくさんいろいろな本を読ませてもらっています。主に哲学関連の書籍が多いのですが、抽象度の高い内容が多く、即戦的な知識はほぼ有りません。ただ、こういう勉強をしているときのほうが、なんだか楽しいんですよね。「暇と退屈の倫理学」とかは、本当に読んでいて面白かったです。哲学書ですが、文体の柔らかさもあって、するすると読んでいくことができました。「退屈」という概念から、あれほどまで考察を幅広くしていけることに感銘を受けました。

 

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

 

 

 

さて、ここ最近のわたしはというと、日々の業務をこなすことに必死でした。わからないことが多すぎて、その場で調べながら対応し、問題がやっと解決しそうかとおもったら更に問題が降り注いできていて、パニックゾーンに入っていたと思います。

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そこで求められていたのは即戦的な知識・技術。現場に対応できるスキル。初めての領域での診療ということもあって、いかに効率よくこなしていくか、みたいな状況でした(あまり医療で「効率的」という言葉を使いたくはないのですが)。

 

そんな感じで、時間的に余裕がないと、哲学書みたいな勉強なんてやっている暇がありません。精神的な余裕もありませんでした。いや、哲学書に限らず、目の前の問題を解決するため以外の情報や知識に目を向けることもできていませんでした。いかに効率的に勉強するか。効率的に情報や知識を蓄えるか。

そんな生活を1ヶ月やっていただけで、精神的に悲鳴をあげていました。なんと弱い僕の精神・・・。

 

ただ、そんな状況を省みて、ふとおもいました 。

「効率的な勉強ってなんだろうか」と。

 

もちろんその場で追い込まれた状況にいれば、それを打破するために奮闘する姿勢は重要ですし、その時々で必要とされることを勉強すること自体は必要です。状況に応じた必要な状況で勉強することが、いわゆる「効率的」なのかもしれません。

 

ただなんとなく、これだけだと面白くないんですよね・・・。主体性が伴ってないというか。どちらかというと受動的。テストにでるから勉強しているみたいな状況。この記事を書いていてなんとなくわかってきました。そうか、テスト勉強と同じ状況だったから楽しくなかったんだ。How toを勉強する感じ。本質を伴っていなくて、心そこにあらず、みたいな。

 

今見聞きしている情報や体験、経験が重要なのか、無駄なのかどうかは、現時点ではわかりません。意味づけられるのは、もっとあとになってから。この1ヶ月がむしゃらにやってきたことも、この1週間いろんなジャンルの本を読んできたことも、すべてはあとになってから意味づけされます。そこに効率かどうかの軸は有りません。

 

だから、「効率的に勉強しよう」という考え方は、心が貧しくなる考え方なのかもしれません。

 

ところで、頭のキレる人というのは、抽象と具体の往復運動が速い気がします。日常生活でふれる情報や体験をすぐに自分事として捉える準備ができていて、その具体的内容を抽象化し、自分事に転用することができる。しかも具体から抽象にもっていくときの幅が大きい。そんな人に憧れたりしています。

 

こういう能力っておそらく、効率的に学習して身につくものではないのだと思うのです。おそらく時間的余裕があったりとか、長い時間軸をもって多分野に渡る学びを積み重ねたりしているのではないかと。効率性は意識していないはず。

 

なんだかまとまりのない文章になってしまいましたが、この1週間を経て、興味の赴くままに勉強できるって幸せなことなんだと改めて実感しました。また時間をみつけて、読んだ本の学びをまとめてみようと思います。

 

 

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