最近、クローズドコミュニティでの「マクウィニー家庭医療学」読書勉強会に参加しております。
総合診療や家庭医療に興味を持ち始めた初期研修医1年目に購入し、当時あまり深く理解できないままに読み進めていき、専攻医研修が始まってからは時々本棚から取り出しては、「あーこういうことだったのか」と臨床経験を元に少しずつ理解できるようになってきていました。
そして、改めて第1章、第2章と解説付きで読み進めていくなかで、
第2章のなかの「ジェネラリストの役割」というパラグラフがありました。
そこには医学生がよく持っていると考えられる、ジェネラリストの役割に関する6つの誤解が書かれてあります。
そしてその1つ目として挙げられているのが、
「ジェネラリストは医学知識の全分野をカバーしなければならない」
というもの。
確かに、実際に昨年に大学内で医学生にジェネラリスト、ジェネラルに診療することについて印象やイメージを尋ねてみると、「いろんな科に渡って知識を持っておかないといけなくて、私にはハードルが高い」という声がいくつかありました。
かくいう私も、ジェネラルについてなにも知らない頃にはそういった誤解を抱いていましたので、気持ちはよくわかります。特に先輩医師でジェネラリストとして活躍されている先生方には、本当にスーパーマンみたいな人も多く、超人社会なのではないかと思って、私も足踏みしていました。
ただこの教科書にはこう書かれてあります。
ジェネラリストの知識は、スペシャリストの知識と同様に選択的なものです。
スペシャリストと同様に、ジェネラリストも自分の役割を果たすために必要な知識を選択します。
例えばくも膜下出血の場合、家庭医が知っておくべきことは、早期診断と紹介を可能にするための、この疾患で現れる症状と手がかりです。一方、脳外科医は、詳しい病理や検査と外科的治療の技術を知る必要があります。(33〜34ページ)
このように、ジェネラリストだからといって必要とされる知識の量が桁違いに多いというわけではない(ただし、様々な分野に興味を持って学びとろうとする姿勢は必要かもしれません)。ジェネラリストもスペシャリストも、自分が活動する場で必要とされる知識をある程度選択し、身につけていく。その方向性が臓器的な視点で見れば、ジェネラリストであれば臓器横断的なものとなったり、スペシャリストであれば対象とする臓器を中心とした関連する知識が中心になる。
本当にすべての医学知識がジェネラリストの範囲であると勘違いしたままだと、すべてを知っておかないといけないというナゾの義務感や責任感で気が滅入ってしまいそうになります。実は私も上記のことをわかっていたつもりでは有りましたが、未だにこういった思想がどこかに残っています。臨床で自分が知らない知識にであったとき(というか知らないことのほうが多いのが当たり前ですが)、「うわ〜これは知らなかった。勉強になった!」と思うこともあれば、「どうして知らなかったんだ・・・。くそ〜」と思う自分もいます。なぜだかそこで悔しく感じてしまう自分がいます。
いや、悔しく感じること自体はいいのです。むしろ必要。もちろん、自分の担当する患者に関する医学的知識は身につけておくべきですし、どんどん勉強していくべきではあると思うのですが、知識の取捨選択をせず、すべてのことを「知っておかなくてはいけない」と考えるマインドセットのままで続けると、どこかで頭がパンクしてしまいます。
そしてその結果、今現在、ちょっと頭の中がお腹いっぱい(意味不明な日本語)になってしまっていて、げんなりしています。
どこか、ジェネラリストを悪い意味で「神格化」してしまっている自分がいるような気がします。確かに自分は理想のジェネラリストになれるように努力していく必要はありますが、ジェネラリストはスーパーマンではありませんし、自分がスーパーマンになる必要はないように思います(そもそもなれないと思う)。
・・・という感じで、このちょうど「げんなり」しているタイミングで、今回の教科書の文章を再び目にしたので、「ああ、そういえばそうだった!昔自分が抱いていた勘違いをまた別の形で復活させてしまっていた!」と感じ、ビビッときたのでこの記事を書きました。
なんだかまとまりのない文章になってしまいましたが、自分の頭の中を文章化すると、すこしスッキリしますね。