岡山の家庭医の読書・勉強ブログ

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【読書記録】格差はなくなるのか?格差はゼロにしたほうがいいのか?(「格差という虚構」)

読書記録。

今回は小坂井敏晶さんの「格差という虚構」です。

タイトルだけみると、「格差なんて本当は存在しないんだよ」と言いたいのではないかと誤解されてしまいそうですがそうではなく、格差はなくなるのか、そもそも格差とはなんなのか、よく一般的に提起されている問題や認識について、その前提や背景に目を向けて再考させてくれる一冊でした。

 

キーワードは、

格差、能力、虚構、意志、責任、偶然、贈与、信頼

 

この本の主旨は、以下の部分が端的に説明してくれています。

 

・①能力は遺伝・環境・偶然という外因が作る。したがって能力に自己責任はなく、格差は正当化されない。メリトクラシー法の下の平等は階級支配を隠蔽するためのイデオロギーであり、遺伝・環境論争は科学を装う階級闘争の表現である。


・②格差はなくならないし、減っても人間は幸せにしない。格差の問題はその大小になく、本質はその差異を生む運動である。人間が互いに比較する存在である以上、差異はなくせないし、そこから苦しみや嫉妬が永遠に続く。

(本文 p304 より )

 

この本では、「責任(ないしは自己責任)」が大きなテーマのひとつとなっています。國分功一郎さんの著書でよく書かれている、責任と帰責性の違いから考えるなら、帰責性としての「自己責任」は正当化されません。その意味で、能力は「自己責任」ではないです。ただし、自らに湧き上がってくる「責任」として、能力を磨いていこうとする努力は必要でしょう

 

また、この本にかかれている通り、格差は正当化できません。「格差の問題は大小にない」と書かれてはいますが、生活を脅かすような大きすぎる格差は是正されて然るべき。しかし一方、ある程度の格差は引き受ける前向きな態度も必要なのではないかとも書かれてあります。それは個性と言えるかもしれないし、多様性と言えるかもしれない・・・。その意味では、人間である以上、格差はなくならないし、なくなっても人間は幸せにならない

 

この本の終盤では、小坂井さんは竹内啓さんの書籍から引用し、「偶然性」を格差に対する処方の1つとして挙げています。

 


偶然は無知に基づく予測不可能性でも、あるいは、必然性からの単なる逸脱でもない、積極的な役割を果たしている。(竹内啓「偶然とはなにか―その積極的意味」より)

(p321より引用)

 

 

そして、最終的な結論に至ります。

格差は絶対になくならない。それどころか、格差が小さくなればなるほど、人間はよけいに苦しむ
・評価は比較であり、必然的に同質化をまねく。多様性は逆に比較不可能な才能が共存する状態だ。平等で客観的な評価は個性と相容れない。
・我々が目指すべきは全員が少数派として生きられる、多様性に溢れる社会だろう。偶然がもたらすチャンスを活かせる社会が望ましい

(p339より引用)

 

「偶然がもたらすチャンスを活かせる社会が望ましい」というのは、その通りです。ただ正直なところ、偶然性にすべてを託すことは非現実的なのではないかと思いますが、その偶然性を掴みうる補助や、そこからこぼれ落ちてしまう人たちに、どんなタイミングでも手が差し伸べられるセーフティネットは、やはり必要だと思いました。

 

そしてそのセーフティネットは、いつだれが必要となるかわからないという「偶然性」も、私達は認識しておく必要があるのだと思います