岡山の家庭医の読書・勉強ブログ

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2023/08/25 診療にかけられる時間について

診療にかけられる時間について。

 

外来や訪問診療をふくめて、医療は時間制限がつきものである。無限に時間があるわけではない。限られた時間内で診療を行わなければならない。これはどの仕事でも同じ。別に医療に限った話ではない。ただ、緊急性があればより時間を意識した診療が必要だし、トリアージもその一つだろう。

 

時間は限られているのである。タイムパフォーマンスとか、そういう話ではない。患者が多く受診している現状で、じっくりと時間がかけられる訳ではないということ。周囲の状況をみながら、診療せざるを得ないだろう。

 

たくさんの患者が待っている状況なのであれば、ひとりひとりにかけられる時間は当然限られてしまう。その限られた時間のなかで、患者中心の医療を実践し、よりよい医療が提供できるかどうかが重要だ。もちろん時間をしっかりかければ、だれだって患者中心の医療をおこなうことはできるだろう。ただ現実はそうではない。

 

 

時間は限られている。その時間で患者中心の医療をどう実践できるかが、忙しい臨床現場における家庭医としての腕のみせどころだ。自分の目の前の患者だけでなく、待っているたくさんの患者らを、このあと診察するのである。現状認識をしながら診療をおこなわなければ、どんどん後ろにずれこむ。当たり前の話だが、それができていないことも多い。

 

経営的な側面としても、時間あたりの診療患者数が少なければ、それだけ利益は減り、継続していくことができない。

 

患者さんをできる限り待たせたくないという気持ちが強い。

待たせてしまってもしょうがない、では済ませたくない。

こだわりというか、ちょっと強迫的な側面もあるかもしれない。

自分が患者・家族側だったら、何時間も待ちたくない。

 

 

余裕をもって診療したいという気持ちは僕もあるけれど、そこはぐっと我慢しつつ、どうしても時間を削りながら、必要十分な診察で終了せざるを得ない。その見極め、マネジメント。もっと意識したらどうだろうか。僕もそういう意味では、まだまだ未熟な部分が多い。

 

たしかに忙しい現場は、そもそもマンパワーが足りていない可能性が大いにある。それは踏まえつつも、自分が変えられるところがないかどうか、意識次第で変われることがないかどうか、考えてみても良いかもしれない。

 

 

タイムマネジメント。時間は有限。

 

 

2023/08/23 地元の総合診療

2023/08/23


今日は一日お休みをいただいて、家族のことで病院を受診。
朝一番で自宅を出て、2時間かけて地元の香川県にいった。

 

ぶっ通しの運転はやっぱり疲れる。ただ、瀬戸大橋はいつ通っても気持ちがいい。

 

大雨。どしゃぶり。

地元についても曇天。雨は降り続ける。


現在の病状をききに病院に。1時間遅れで診察室によばれる。長い待ち時間はストレスだ。医師としての自分も患者を待たせてしまう立場なので、長い待ち時間はやはり申し訳ないと思ってしまう。

 

いわゆる多疾患併存状態であるわけだが、多科にわたる受診で、「主治医」と呼べる担当医がいないわけだ。いろいろな疾患をもっているなか、今回新たにプロブレムが出た状況で、そのことを相談できる主治医がいない。また〇〇科に新たに紹介される必要がでてしまう。


患者の家族として、やっぱり総合的に診てくれる主治医、かかりつけ医の存在は大切だなと思う。そして、それを担えるのは総合診療医だなと思う。地元の香川県で、もっと総合診療が盛り上がっていったらいいのになと、せつに思う。

 

そんななか、今日はさらにもう一件、香川で用事があった。香川大学病院での臨床推論勉強会に参加。
香川の総合診療を盛り上げようと頑張ってくれている学生の方(Uさん)が主催で、毎月やっているとのこと。せっかく香川に来たので、出ない訳にはいかない。同学年で、県外から香川に帰ってきたというジェネラリストの先生がプレゼンしてくれて、実りあるディスカッションができた。学生さんもちらほら参加。教育に携わっていくのは、今後必須だろうなぁ。

 

今日も東畑開人さんの新著『ふつうの相談』を手に取る。

ふつうの相談

 

相変わらずキレキレである。

 

教科書ではしばしば、ラポールを形成してから心理的作業に入っていくと書かれているが、まだ何の役にも立っていない専門家をどうやって信頼できるというのか。
さまざまな災厄に襲われ、孤立感を深めるクライエントが、もし他者を信じることができたならば、それはすでに偉大な達成なのである。


ラポールは、適切な環境調整と問題の知的整理が行われ、「助かった」と少しは感じられたときにはじめて形成されるものだ。(中略)


ラポールを築こうと思うならば、感情よりも知性を使う方がいい。この社会にあって、専門家に期待されるのはまず専門知であるのだから。


(東畑開人『ふつうの相談』p65より)

 

 

帰る頃には、雨は止んでいた。

 

2023/08/21 午後休み 時間をつかう

2023/08/21


今日は仕事。午後は休みをとっているので、午前の予約なし外来だけ。月曜日は毎週のように忙しい。時間におわれながら外来対応する。診察の手は抜きたくないので、できるだけポイントをおさえながら。なかなかに後ろにずれこんだ。

 

ようやく外来が終わって(というか終わらせて)帰宅。なかなか手がつけられていなかった仕事をしながら、ポートフォリオ作成もすこしできた。各エントリーの事例はほとんど集まっていて、どれもいくらかは書けているから、そこまで焦る必要もなさそうだ。じっくり時間を書けながらポートフォリオは書いていこう。

 

夜はあまりお腹が減らず、結局夜ご飯は食べなかった。

 

東畑開人さんの新著『ふつうの相談』を手に取る。

ふつうの相談

 

 

「臨床家は最低でも二枚のカードは手元にもっておき、クライエントに応じていずれのカードを切るかという判断をできるようにしておくべきだ(中略)


すべてを認知行動療法で解釈し、認知行動療法によって解決しようとするとき、その臨床家は、呪術師としては一流かもしれないが、現代の専門家システムにおいては「素人」の域を出ていないのである。」


(東畑開人『ふつうの相談』 pp43-44より)

 

なんでもかんでも一つの理論的枠組で考えようとしたら、世界が一元的にしかみえなくなってしまう。わかった気になってしまう。耳が痛い文章。

 

東畑さんの文章は、端的で切れ味がいい。

 

今日はもう寝よう。

2023/08/20 大阪2日目、生きる意味ってなんだろうって考える

2023/08/20


適々斎塾2日目。昨日の疲れが残っているものの、今日は今日で楽しみ。朝は6時40分に自然に目がさめて、すぐに着替えと歯磨きをして準備して、パソコンやらをカバンに詰め込んで、ホテルの部屋をでて朝食会場にいった。ホテル全体に清潔感があるので、もちろん朝食会場もきれいである。ビュッフェスタイルで自分のすきなものを選んでとることができる。僕は和食が好きだから、必ず味噌汁は確保する。できれば白米。野菜はおひたし系が好き。魚はサバの塩焼き。これまた味がいい。

 

今日はぼくが登壇する日。朝から事例提示。いわゆる複雑困難事例を提示して、ケアマネージャーさんらも混ざってグループディスカッションをして、会場内から色々意見をだしてもらい、雨森先生にコメント・解説をいただけるという、贅沢時間だった。「家庭医療学、おもろいよ!」「家庭医療って魅力的でしょ!」みたいなメッセージを伝えたいというのが裏テーマだったので、それが少しは伝わったかな。

 

その後の三澤先生の思春期のケアのセッション。「生きる意味って何?」って子どもにきかれたら、自分も困ってしまうな・・・。意味などないとか言いがちだけれど、それはそれで違う気もしたり。正解はたしかにないけれど、それぞれに意味が見いだせるようになっていくような生き方、人生があるんじゃないかなとも思ったり。「一緒に探していこう」、とか言ってみたらどうだろうか。こういうとき、本とか映画とか紹介したらいいんだろうな。言葉で伝えられなくても、物語から感じてもらえる部分はあるんじゃなかろうか。

 

午後は診断推論のセッション。なかなかいい具合に臨床推論することができて、ちょっと自信になったかもしれない。まぁあくまでカンファレンスはカンファレンスにすぎないところもあるので、現場の時間経過の流れでどう考えていけるかとはまた違ったものではあるだろうし。

 

帰りのバス。隣の乗客が脚を広げて、肩を広げて座っているので、文字通り肩身の狭い状態で3時間かかった・・・。これで体力をもってかれてしまった感がある。バスの座席間隔はなんとかならないものだろうか。とりあえず、津山に無事到着。明日も仕事なので、できるだけ早めに休もう。