「夢の叶え方を知っていますか?」は、
「すべてがFになる」などの小説で有名な森博嗣さんの著書で、お気に入り本の一つです。
職業的な夢と趣味的な夢
森さんの「夢」に関する持論が多く語られている本。
夢には2種類あって、職業的な夢と趣味的な夢があるといいます。
職業的な夢は、仕事に関連した夢のことで、なんらかの形で他者との競争が必要になったり、他者からの評価が一定数必要になってくることが多い。
一方趣味的な夢は、自分の趣味、つまり楽しいと思えることを夢にすることで、他者との競争でのし上がって一番になることや、他者からの評価を前提としていない点で、相対的に健全だと思います。
おそらく、一見すると職業的な夢のようにみえる人でも、そこに「楽しい」が前面にでていて、自分の中の価値基準ですすんでいけるような夢は、趣味的な夢であると言えそう。
夢の具体性と窮屈さ・手軽さ
この本では、抽象的な夢と具体的な夢が、様々なアンケート回答をもとにいくつか紹介されています。
抽象的な夢で言うと、「家族といつまでも幸せに生活していたい」とか、「人の役に立てる人間になりたい」とか。定番といえば定番ですが、どんなイメージを描いているのか、この言葉だけではみえてこないですね。夢というか、かくいう自分も、家族とはいつまでも幸せに生活していたいです。
一方具体的な夢は、「日本中をツーリングしてみたい」とか、「カフェを併設したお花屋さんをもちたい」とか。具体的な夢は、その具体性を上げれば上げるほど、必要な手順やスキル、資源がみえるようになって、叶えることのできる確率も上がりそうです。
ただ、具体性の高い夢は、その具体性にこだわってしまうと、人生における様々な選択肢がみえなくなってしまう場合もあり、窮屈に感じてしまうかもしれません。「この〇〇は自分の夢に関係ないからやらない」となることが多いと、せっかくのチャンスを逃してしまう。
そもそも、今現在描いている具体的な夢が、本当に自分にとって幸せなのだろうかという疑問も描きにくくなる。余白がない絵は、それ以上広げたり、新しく描いたりすることができません。
程よい抽象度で趣味的な夢
そうなってくると、程よい抽象度で趣味的な夢を描くのが、今を生きていく上で一番幸せなのではないかと思います。この「程よい」という言葉が厄介ではありますが、まぁやっぱりここは人それぞれだと思います。基準としては、日々の生活の中で提示される選択肢が常に制限されてしまうような夢は、一方で不幸であるかもしれません。
ちなみに、「好きに本が買えるくらいの収入は得ながら仕事をつづけつつ、読書をゆっくり楽しめる時間と場所、そして家族との時間を確保できて、様々なひとたちと学びを共有しながらマイペースに勉強しつづけたい」というのが今の自分の夢です。
見方によっては、「あれ、これってもう今すでに夢叶ってない?」と思えなくもないのですが、「読書をゆっくり楽しめる時間と場所」、「様々なひとたちと学びを共有しながら」というところに広がりを持って抽象的なままにしておきたい。
ブックカフェを併設した診療所を開設して地域に溶け込みながら仕事と趣味をつづけていくとか、夢へのアプローチ方法の選択肢を残しておきたい。こうやって自分の文章を読み直すと、やっぱり自分の中の大切にしたい価値観の一つが、「選択肢」なんだなと実感しました。
というわけで、程よい抽象度でいくつかの解釈・アプローチができる、趣味的な夢をもつのが一番幸せなんじゃないかというお話でした。こうなってくるとやはり、「幸せとはなにか?」という問いは避けられませんね。
あなたはどんな夢をもっていますか?