読書記録。
「生の短さについて」と訳されているものや、「人生の短さについて」と訳されているものもあったりします。
Voicyの配信で荒木博之さんが紹介されていたのをきき、興味があって読みました。
ぜひこれは必聴です。
セネカは後期ストア派の哲学者です。ストア派の「ストア」は今で言う「ストイック」の語源となっています。ストア派は禁欲主義と称されますが、今で言う禁欲という意味合いではなく、欲望から脱却する、といった意味合いのほうが合います。
そして、官僚として粉骨砕身して働く友人に対してセネカが送った手紙が、この「生の短さについて」という文章です。
内容を一言でいうと、「そろそろ自分のために生きたほうがいいんじゃない?」というメッセージです(間違っていたらすみません)。
そして自分なりに本文中の内容をかいつまんでまとめてみたものがこちら。
「自分自身でコントロールできるものと出来ないものの区別をつけて、コントロールできるものに集中する。
未来はコントロール出来ないけれど、自分自身のものの見方や時間の使い方は自分でコントロールできるものだから、今を懸命に生き、そして時間を確保して内省を行いながら、他人ではなく自分の人生を生きていくべし。」
コントロールできることとできないことに区別をつけるというのは、なんだかどこかで聞いたことのあるようなフレーズです。
私が想起したのは、アドラー心理学の課題の分離です。他人の課題と自分の課題を切り分ける。他人の課題に介入するのではなく、自分の課題に取り組む。自分の人生に責任をもつべきであるということ。
そしてコントロールできないものの代表として、未来や運命があります。
未来はだれにも予想できません。そしてそれは思うようにコントロールできないとされます。自分がどれだけ努力しても、世の中には不条理なこともたくさんある。
そのかわり、自分自身のものの見方や時間の使い方は、自分自身でコントロールできる。堕落した生活を送ることもできるが、一方でその日その日を一生懸命生きることもできる。そうやって積み重ねていった今が過去となり、今の自分を支えていってくれる。過去を振り返る時間を確保することで、これらは可能となり、自分自身の人生を生きることができる。
といったような感じでしょうか。
ここででてくる単語が「閑暇」という言葉です。
調べてみると、「何もすることがないさま。ひま。」というふうに出てくるのですが、ただただ暇な状態ではなく、上に書いたように自らを内省する時間を十分に確保することのできるくらい時間に余裕がある状態のことを指しているのだと思います。
仕事などで忙殺されてしまいいつのまにか何年も時が過ぎてしまった状態は、この閑暇とは逆の状態であり、そういった人は自分の人生を生きているわけではなく、そして「人生が短く感じる」ことでしょう。
これには私もハッとさせられる部分も多く、嫌であるにも関わらずどこか忙しい状態が心地よく感じていた部分がありました。他人から求められているような気持ち。ただそれは自分の人生を生きていない。内省する時間を確保できなければ人生は風のように過ぎ去る。
これに関連して、スティーブ・ジョブズの有名なスピーチで、私の好きな言葉があります。
Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life.
(時間は限られてる。だから時間を無駄にして他人の人生を生きてはいけない。)
あなたは他人の人生を生きていませんか?